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2020年05月09日

南アフリカの旅最終回【1993年3月28日~31日】

南アフリカワールドカップ記念
(便乗)
として開始、
途中さぼって
10年にわたる連載になってしまった
1993年3月10日~31日南部アフリカ
(ボツワナ・ジンバブエ・南アフリカ)
の旅連載
いよいよ最終回になってしまいました。

https://sugiurains.dosugoi.net/c3166.html
(こちらのカテゴリーで全ての日程ご覧になれます)


1993年3月28日
南アフリカ・ヨハネスブルグ(JOHANNESBURG)を観光できる最終日となりました。

この日の目標は
「近郊列車の終点を往復する」でした。

選ばれた駅はSprings駅
ヨハネスブルグ932~1040スプリングス(1等もと白人車両)6.7ランド約270円
スプリングス1105~1215ヨハネスブルグ(2等もと黒人車両)2.9ランド約110円
ちなみに缶ジュース70円位の物価です。
沿線からの風景・・・





スプリングス駅に着きました。

スプリングス駅一等用駅舎
スプリングス駅もプレトリア駅も
1等用(もと白人用)駅舎は立派で
2等用
(もと黒人用)
駅舎はぼろいと日記にあります。

スプリングス駅にあったSL

スプリングス駅前にての風景。
黒人居住区に行く乗合タクシーですね。

いよいよ帰り2等に挑戦!?
設備はそう変わらなったと思いますが・・・
で着いたヨハネスブルグ2等駅舎はごった返し臭いと日記にありました。


ヨハネスブルグ駅舎

ヨハネスブルグ駅前に保存してあったSLです。

昼はカールトンセンターでチキンチーズステーキ21.8ランド(約800円)で食べたとありますがたらふくで感激と日記にあります。

午後は313バスでSouth Gateというところに行った様です。1.9ランド(約70円)
2階建バスに乗りたかったんですね(笑)

終点近くのウインピイ
(南アフリカでチェーン展開していたみたい)で
フルーツサンデーを4.75ランド
(約160円)位とあります。




ちなみに
朝は目玉焼き・ハム・ケロッグ
夜はサンドイッチ ジュースとあります。
なんとなく(貧困地域は行かないから)
物価安めのヨーロッパを旅した感じですね。

ヨハネスブルグ セントラル ユースホステル↓は宿泊費(飲食代別)3泊で
50ランド(1泊600円くらい)




ユースホステルにて。
同じ部屋になった日本人の方です。

29日飛行機に乗る日


実際には見ませんでしたがトロリーバスの架線がありました。


ヨハネスブルグからこのバスで空港に行ったのかな?

帰りもマレーシア経由で帰ります。
ヨハネスブルグ1415~0755クアラルンプール

3月30日
マレーシア

クアラルンプールでまる1日ありました。

市内大型ショッピングセンターなど含めバスでうろうろしてました。

これはクアラルンプールの駅ですね。
列車の本数が少なすぎ、
気軽にチョイ乗りができませんでした。





夜再び飛行機に
クアラルンプール
2330~700成田空港

3月31日とうとう日本に帰ってきました。
何時の列車に乗ったか記載がありませんが
青春18切符は残っていました。  


当時は1枚ごとにバラして使えるタイプで、
金券屋でもバラで売ってました。

また東京神田の鉄道ファンの殿堂⁉︎
書泉グランデで鉄道雑誌を3冊も買って帰った様です(笑)

アフリカから2泊も飛行機に乗った帰りで
よく寄り道して本など買ってるなと思いますが、
当時は東京へ出るにも今みたいに気軽には行けませんでした。
当分来れないつもりでの買い物でした⁉︎


4月1日から大学4年生
妙に日に焼けて就職活動を再開しました


おわり


おまけ
南アフリカ鉄道切符いろいろ









再び旅の始まりから読まれる場合はこちらからです。
本当に10年前face08
https://sugiurains.dosugoi.net/e67157.html
  

2020年05月01日

南アフリカの近郊型電車【1993年3月27日】

南アフリカの旅の1年前1992年3月。ヨーロッパを周遊したのはベルリンの壁崩壊直後でした。
南アフリカの旅1993年3月アパルトヘイト(人種分離・隔離政策)が終わった直後でした・・・
と書こうと思ったのですが
今検索してみると・・・1994年撤廃とあります。
あれ~!?
段階的に終わってたのでしょうか???

さて、1993年3月南アフリカの旅続きです。
https://sugiurains.dosugoi.net/c3166.html
(こちらのカテゴリーで全ての日程ご覧になれます)

豪華列車に乗り・眺め次は・・・プレトリア駅で眺めた
近郊型電車です。
この形・なんか日本の80型電車やキハ55等に似た雰囲気
1960年前後の日本の国鉄オーラみたいなのなプンプンで(笑)
とてもそそるスタイルicon06
レールの幅は日本と同じです。
電動車比率が少な目で、大出力のモーター車が多めの付随車を引いています。
このあたりはヨーロッパ的!?
1等と2等がつながっています
1等は旧白人用2等は旧黒人用ですが
既に富裕層は車社会に移行しそもそもあまり乗ってなかったように思います。 

帰り乗るのが楽しみ♪







プレトリアの風景
「動物園」に行ったようなのですが動物の写真が1枚もありません(笑)




クルーガー大統領の像(南アフリカの初代大統領との事)
プレトリアは南アフリカの政治都市です。


プレトリア駅一等(旧白人)駅舎
1等用と2等用は駅舎が分かれていて、2等用はかなりみすぼらしい駅舎です。
車内の設備はそれほど差が無かったように思いますが・・・

で帰りの電車・・・
電車なのにディーゼル機関車に引かれています。何故かは謎!?
結局モーターの音は聞けずにヨハネスブルグに戻ってきました。

プレトリア16:42→18:00ヨハネスブルグ
1等で400円程度(同区間ブルートレイン体験乗車は3000円程度)
でした。
ヨハネスブルグからユースホステルがはもう暗くて怖かったので
タクシーを使ったとあります。こちらも約400円でした

朝飯:(ユースホステル)ハム・玉子・ケロッグ・パン
昼飯:パン
夕飯(ユースホステル)チキンサラダ・ライス・やさい・スープ・チョコムース

次の日は南アフリカ最後の観光できる日となります。

つづく


  

2020年04月29日

もうひとつの豪華列車【1993年3月27日】

1993年南アフリカの旅続きです。
https://sugiurains.dosugoi.net/c3166.html
↑こちらのカテゴリーで出発からご覧になれます。

3月27日11時30分頃
豪華列車ブルートレインに1時間体験乗車が終わり、
プレトリア駅に到着すると・・・
勝るとも劣らなそうなレトロな豪華列車が止まっていました。





これは・・・
1993年3月23日ケープタウンで見たSLの引く列車だ!
ケープタウンで撮影したもの再掲載




機関車来るか!?動くか・・・
かなり待ちましたが機関車も来ず動きませんでしたface07
日記には
「機関車が壊れたから運休と聞いた」
とありましたが本当だろうかface07

この時はこんな列車があるのだなあくらいの目でしか見みませんでしたが
この列車がたぶん「ロボスレイル」(Rovos Rail)であったの今知りましたface03
公式HP
https://www.rovos.com/
旅行会社のツアー募集例
https://www.hankyu-travel.com/tyo-i/rovosrail/

南アフリカの「THE BRUE TRAIN(ブルートレイン)」は歴史ある列車であり
「ギネスブックにも載った世界一豪華な列車」と言われていましたが
プレトリアからケープタウンまであくまで直線で結ぶ列車で移動の手段でもあります。

ロボスレイルは1989年設立とあります。
杉浦が訪問するたった4年前です。
レトロな客車を集めて整備し各地を巡る列車を走らせている様です。
これこそ日本の「ななつ星」(←なんかこだわる^^;)
よりも20年も前から走っていたクルーズ列車なんだなぁ

なんだか感動しました。

づづく


  

2020年04月28日

ななつ星のお手本!?南アフリカの豪華列車【1993年3月27日】

1993年南アフリカの旅続きです。
https://sugiurains.dosugoi.net/c3166.html
(上記カテゴリーで全てご覧になれます。)

1993年3月27日ヨハネスブルグのユースホステルで開けた朝
昨晩知り合った年配の日本人を見送ってから
のんびり駅へ

10時15分頃ヨハネスブルグ駅に着き
昨日予約した
南アフリカの豪華列車
「THE BLUE TRAIN 」
に乗ります。

プレトリア~ヨハネスブルグ~ケープタウンを往復しています。
代金は当時、確か安い部屋で片道4~5万円くらい!?
高い部屋で15~6万したかと思います。
距離は約1600kmとの事。
(かつて東京~西鹿児島まで走っていた日本のブルートレイン「はやぶさ号」は1515.3kmらしいから
ちょっとイメージ湧きます。)

が中身は大違いで

15両くらいつないで定員は全車両で100人以下と考え方は
最近の日本のクルーズトレインですね。

こんな高い列車とても乗れません・・・でしたが^^;

ケープタウン発列車はヨハネスブルグに10時30分頃到着。
最後のひと区間プレトリアまで
約1時間「体験乗車」ができるのです。
ヨハネスブルグでほとんど降りてしまうからでしょう。
しかもお値段3000円程度。

これでも当時の学生旅の感覚では高いという感覚でしたが
今思うととってもリーズナブルな値段で体験乗車できました。

ラウンジでケーキも頂けました。・・・がやらかしました^^;
皿を落として割ってしまったのですface07
がにこやかに許してくれましたicon06
(AIUの海外旅行保険に入ってましたが使わずすみました^^;)

・・・あれ?
あの団体日本人!?
なんと日本人の団体がいました。
同じ体験乗車かな?
「ワールド航空サービス」と名札のある添乗員さんと少しお話しました^^;
「南アフリカは交通が不便だからツアーがいいよ」なんて言われました。
・・・南アフリカツアー、当時100万近い金額付けていたと思います。
杉浦のボツワナ・ジンバブエ・南アフリカの旅は
・・・336000円と決算が出ています。黄熱病の注射とかで+10000円かかったとあります!?
全てバイトで貯めた旅費でした。

さて、日本人団体さんがゾロゾロ社内を見学に。
ついていろいろ回りました。

それでは写真を・・・


ヨハネスブルグ駅

ブルートレイン車内の様子です。




















乗車証明書です

いろいろ眺めてあっという間の1時間。
11時30分頃プレトリア駅終点に到着しました。
当然もっともっと乗っていたい列車でした。   








ブルートレイン牽引機です。

https://sugiurains.dosugoi.net/e504847.html
ブルートレインの外観はケープタウンで撮影したこちらもご覧ください


ブルートレインが目的
おまけ!?のプレトリアの旅

つづく
  

2020年04月25日

夜行バスでヨハネスブルグへ【1993年3月26日】

昨晩も寒かったのでいよいよストーブ再びだそうかと思ったけれど
コート着たら丁度ここちよい体感となり快適に過ごした杉浦です(笑)

1993年南アフリカ旅日記続きです。

https://sugiurains.dosugoi.net/c3166.html
こちらのカテゴリーでここまでの行程がご覧になれます


大観光地ケープタウン・喜望峰に到達して
メジャーな観光地とは言えない!?けれどSLが走るという事で
ジョージ・ナイズナ・オーツホーンという田舎町を訪問。

3月25日
オーツホーン空港(というには暗い郊外)
2030発(どこかからひたすら走ってきたのかも?)
の夜行バスは運転手2人常務でしたががらがら。
ベッド替わりに横になり寝たようです。

26日到着はかなり遅め。
郊外の黒人居住地を眺めながら




ヨハネスブルグ(JOHANNESBURG)に午前10時頃到着しました。

「ヨハネスブルグ セントラル ユースホステル」
にチェックイン。
ここに3泊する事になります。
荷物を置き散策
・・・といいたいところですが当時から治安最悪という町
かなり命がけだったみたい?





ヨハネスブルグ駅の鉄道博物館(パネルとかばかりface04
翌日の最後のクライマックス!?
的豪華列車(の体験乗車)の予約をしました。

カールトンセンター
50F展望台より








ヨハネスブルグのバスターミナルはこんな感じ。


ユースホステルへ戻るとかなり年配の日本人と同宿になりました。
夕食はユースホステルで。
何が出たか全く覚えありません。

どこかでかなり待って
「まだか」と聞くと
「ここはアフリカだ」と言われた覚えがあります。

この日のメニューのメモがありました。
朝:ハムエッグサンドイッチ+ダイエットコーラ
昼:チキン ケーキ ポテトサラダ オレンジ
夜:ピーマン トマト ゆで卵 パンとあります。

全くイメージ湧きません。

当時フィルム+現像で36枚2000円くらいしました。
今みたいに!?
食事など気軽に撮影するような安い撮影費ではありませんでした(笑)

つづく
  

2020年04月24日

復活!?南アフリカの旅【1993年3月25日】

南アフリカの旅復活!?

ここまでは行程はこちら↓
https://sugiurains.dosugoi.net/c3166.html

大学3年の3月南部アフリカを旅しました。

時代下り

サッカーワールドカップ南アフリカ大会に合わせ(いつだ!?)

昔の写真をCDにし、そのころの旅の連載を始めましたが
途中で力尽きていました。
恐らく旅の最大の目的地!?
喜望峰にも到達
また
お目当ての鉄道路線にも乗ってしまい

どちらかと消化試合的な部分に入ったからと思います。

しかしこんな時期でもあり!?
この旅最後まで到達しようと思います。

喜望峰・ケープタウンからSLの走る町ジョージへ。
SLの旅も終わり観光案内所で紹介された
ゲストハウス(GEOGE BACKPACKERS HOSTEL)
に泊まり
翌日レンタカーで普通の「観光」をした珍しい日!?
ほとんど公共交通が無い地域でした。

1993年3月25日

ゲストハウスにレンタカー屋さんが迎えに来てお店に行き 手続きして出発!
・・・と言いたいところですがバックができない・・・
バッグギアは押して入れるとお店の人に教えて頂き、
目的地まで60㎞と聞き1時間半くらいですか?
と聞いたら笑われました。
荒野の中時速80㎞や100㎞制限の一般道face08
を走るとあっという間にダチョウの町!?
オーツホーン(OUDTSHOORN)
という町に到着しました。

途中の雄大な景色見た以外は

ダチョウのショーやってるところ
(Higate Ostrich Farm)
と洞窟(CANGO CAVES)

列車の来ない駅(週2本くらいしか来ない)

くらいしか行かなかったかも!?

旅行会社の機能のある観光案内所はしっかりあり、

ヨハネスブルグへの夜行バスの手配
それに伴うレンタカー返却場所の変更などもやってくれました。
























レンタカーを
オーツホーン(OUDTSHOORN)空港で返却。
夜行バスに乗る予定となりました。
バスを手配した観光案内所の方に
「空港にバス来ますからそこでレンタカー返してください」と言われ
「空港って大きいのでは?」と聞いたら
また笑われ
「小さいからすぐ分かる」
との事

ハンバーガー屋さんで時間つぶしてから

PM8時前に空港に。。
空港は真っ暗で誰もいません。
確かに牛久保駅くらいの広さ!?
これならすぐわかるけれど
ここで無事に車返せるのだろうか???

犬がキャンキャン泣いてる車がやってきました。
このおばちゃんがレンタカー屋さんで
その飼い犬が歩き回る中!?
無事鍵を渡して車返却。

夜行バスにも乗れて
ヨハネスブルグを目指しました。
バスはがらがらでした。





つづく







  

2014年08月29日

南アフリカ保存鉄道の旅【1993年3月24日】

1993年南アフリカの旅続きです。

当時すでにガイドブック「地球の歩き方」
はバックパッカーならずとも
個人旅行者のバイブルでしたが

アフリカ編は
まだモロッコ・エジプト・ケニア・アルジェリアチュニジア位しか無く
もちろん私のこの旅の一体
(南アフリカ・ボツワナ・ジンバブエ)
もありません。
(今はあるみたいですね)
当然インターネットなんて便利なものはありません。
南アフリカの政府観光局が結構資料豊富で、日本語版もあったので助かりました。
これと
トーマスクックの全世界時刻表・
一部の鉄道雑誌・
当時通っていた
「海外鉄動研究会」の会員の助言などが頼りでした。

そんなか細い情報で

見つけ出した

南アフリカのSL保存鉄道。
南海岸線の近い場所にあります。

メモを見ると
ジョージ8:15~10:50ナイズナ
ナイズナ12;55~16:05ジョージとあります。
距離は片道67km。
Ωカーブなどあるローカル線を
のんびり往復したようです。
他に対向列車などは無かったと思います。
1日1本とか週何本とかいう線がいくらでもこのあたりありました。
観光案内所で紹介された
「ジョージバックパッカーズホステル」という宿に宿泊。
私1人かと思ったらドイツ人ひとり来たとあります。

翌日レンタカーを再度頼む予定だったのですが
25歳以上のとこばかりで借りられない・・・とメモで嘆いて
いますが宿のおばさんに相談したらなんとかなったようです。
スーパーに行ってケーキ買ったらまずいとあります。
どんなケーキだったのでしょうか???
なんとレシートの控えが残っており
スーパーで
パン
ベーコン
トマト

牛乳
リンゴ
ケーキ
購入した履歴が。
なんと自炊を試みた様です。
(惣菜なんて無かったんでしょうね^^;)
調味料を購入忘れたのを
気づき宿のおばさんに恵んでもらったの
は今でも覚えています。
買い物して袋もらえなかったの覚えています。
時代の先端を行っていたのですね?

1993年3月24日
そんな宿の思い出の前の日中のSLです。
ケープタウンから早朝の到着。
のんびりSLとたわむれる1日





















他のHP探してみるとこんなページが。時代はかなり最近ですが
まさに同じ機関車ですね^^
  

2014年08月27日

ケープタウン・喜望峰【1993年3月22日~23日】

1993年南アフリカの旅はこちらのカテゴリーで全てご覧になれます

確か南アフリカ・サッカーワールドカップ便乗企画として
4年前連載が始まった1993年の南アフリカの旅日記

無事目的地?喜望峰にたどりついて1年以上休眠してましたが
今日ネットテレビの話題にさせて頂いたので

責任持って?旅の最後まで復活させて頂きます。

今日は・・・

ケープタウン・喜望峰で写した掲載漏れ写真


ケープタウンにそびえたつ山(岩?)
テーブルマウンテンにて。
1993年3月22日


頂上はこんな形

これもケープタウンのどこかと思われ。




ケープタウン駅前で借りたレンタカーをアフリカ南端の喜望峰へ行く途中で写す。
1993年3月23日


喜望峰


戻ってケープタウン近郊電車に乗車。
路線図









一等車


二等車


この車両+現在で50年ものの相当古い車両ですが最近置き換わりつつあると
鉄道雑誌で読みました。


ケープタウン駅にあったSL



これもケープタウンのはずなんですが???

1993年3月24日
半歩前に進めます。
ケープタウンから
夜行バス+ヒッチしたトラックで
奇跡的に到着した
ジョージ駅。

保存SL目的でやってきました。
そこにはSLのある風景が・・・





続く





  

2013年04月24日

南アフリカのブルートレイン+夜行バス体験【1993年3月23日】

南アフリカの旅はこちらのカテゴリーで連載分すべてみられます。

南アフリカ日記続き

1993年3月23日

ケープタウン駅。

やってきた列車は

当時「世界一の豪華列車」とのも言われていた
「ブルートレイン」です。















プレトリアからケープタウンを1泊2日で走ります。
乗ってみるのも
確か安いクラスでも4・5万円したので
大学生の価値感覚ではとても・・・
(今なら奮発するかもですけど・・・)

ただしケープタウン発ヨハネスブルグ経由プレトリア行きの上り?は
最終区間のヨハネスブルグ~プレトリア間の役一時間が
「体験乗車」として3000円ほどで乗れたので旅の後半乗車しました。
(いつか?車内出てきます。)

この日ケープタウン近郊列車に体験乗車して
ユースホステルに戻りシャワー浴びて
日本人で出会った「山口さん」(と走り書きの日記にある)
とお話して時間つぶしてから
(あちこち見て回るほど交通手段が発達していない?いやよくわからない)
夜行バスで旅立つ事になります。
テーブルマウンテンが照明で照らされ綺麗
だったとあります。

南アフリカの「地球の歩き方」すらない時代
よく夜行バスなど使ったなあと思いますが・・・
次からはさらに自分でもびっくりする体験。

夜中の2時半に目的地ジョージ到着。
しかし真っ暗・・・こわ。
とても降りられず
そのまま乗車。
お店の明かりが見えた「ナイズナ」で下車しました。

ジョージ~ナイズナ間の鉄道に乗車予定だったので大きくははずしていません。が
本来はジョージに行きたかったのですが・・・

ナイズナバス停
目の前24時間営業のファーストフード。
ここで明かしてたらら・・・

「ハワイアンバーガー」と牛乳を注文(とあります)

変なおじさんがいたが途中で去る(とあります)

警察が見回りにきました。(この場面はしっかり覚えています)
当然のように職務質問。
かくかくしかじかここへ行きたいと英語で話すと
(こういう時はなんとかなる)

なんと新聞屋さんを紹介してくれて
目的地ジョージ駅まで
新聞をホテルに配達しながら
(放り投げながらと日記に・・・)

送ってくれました。
1時間ほど走り本来の目的地
ジョージにたどり着いた事に。
これ奇跡です。

ジョージ~ナイズナというところを走る
SL保存鉄道ジョージ駅。
明け方の駅には
SLの煙があがっており感動したのでした。

つづく(いつか?)  

2013年04月24日

ケープタウンにて【1993年3月23日】

南アフリカの旅はこちらのカテゴリーで連載分すべてみられます。

なんとなく?
南アフリカワールドカップ開催記念便乗企画?
でフィルムカメラをデジタルにしてはじめた
大学時代の南アフリカの旅。

アフリカ大陸南端の喜望峰に到達して満足し
その後2年近くも連載が止まっておりました。

その間に20年前のアフリカ日記に変身?

最近頭が硬直して日常ねたが浮かばないので
久々に引っ張り出して歩を進めます

南アフリカ・ケープタウンのユースホステルに宿泊。
車は自分が借りたレンタカー。フォードレーザー(マツダ製)





翌日23日、レンタカーを返し、
ケープタウン駅へ。
お目当ての列車の前、
にすごい列車が・・・
SLの引く観光列車。
最近日本ではやってきたクルージングトレインのような列車。
もう20年前の南アフリカ(白人の世界はヨーロッパそのもの)では
普通に走っていたようです。






さてお目当ての列車拝見

続く(本日中UPします)  

2011年05月29日

ケープタウンの風景・電車【1993南アフリカの旅】


この日記はこのカテゴリーにて
連載中


南アフリカの旅続きです。

1993年3月22日

喜望峰からクルマで戻ってきて再びケープタウンの街へ。


テーブルマウンテンを近くの丘から眺めます。



その前に

行き交う近郊電車を眺めました。


一部こんな近代的なのも走っていましたが・・・

ほとんどは古そ~な私好みのこのタイプ





当時日本でも国鉄がJRになって暫く経ち、明るい色が流行っていた頃です。
こちらも塗り替えたのですね。


でもこっちが渋い・・・

宿泊は再びこのケープタウンのユースホステル


夜景も見に行きました。


ケープタウンに2連泊。翌日は再び移動の旅が始まりますが
その前にケープタウンに到着する

豪華列車を長めに行きます。

続く  

2011年05月29日

たぶん何も無かった喜望峰【南アフリカの旅】

なんとなく海外に再び目をやりたくなったすぎうらです。

久々に南アフリカの旅連載追加します。

この日記はこのカテゴリーにて
連載中


1993年3月22日

南アフリカ
ケープタウンのユースホステルで目覚め

ケープタウンの駅へ。
そこでレンタカーを借りて
喜望峰を目指します。



喜望峰へはこちらのレンタカーで



岬はこんな景色の中を・・・



こんな景色のところもあったようですが・・・



なんと喜望峰の写真はこれしか無いのです(泣)
アフリカ南端(最南端ではないらしいですが)
かなり期待していったのでしょう。
たぶん何も無かった

喜望峰・・・

往々にして岬って日本でも何もないものです。

それがまた良いのでしょうけど(笑)

つづく  

2011年04月10日

アフリカをマツダ車で走って写した電車【1993年3月22日】

南部アフリカの旅はこのカテゴリーで・・・

1993年南アフリカの旅もうおひと駒進めます。

1993年3月22日ユースホステルで目覚め
ケープタウンの駅へ。

喜望峰方面の1日観光バス・乗り合いバスなどないかな~と案内所へ。

・・・無い

交通不便な場所だな。
でレンタカー屋さんは普通にある様で・・・
せっかくだから是非訪問したい喜望峰を巡るには
レンタカーしか選択手段が無いわけであります。
幸いこんな事もあろうと国際免許も取得してました。


で紹介された駅近くの
ドルフィンレンタカーという会社に行ったら
確かにイルカ色の?
こちらのフォード車が貸し出されました。

どう見てもマツダくさい???
でボンネット開けたらやっぱりマツダでした(笑)
日本語が書いてある。

それにしても地球の裏側をマツダのクルマで走るとはオツです?
1500ccボディに1300ccのエンジン。はっきり行って走りは良くなかった(笑)

クルマをやっと借りた後は今度は
ケープタウンの町を出るのに迷って迷って苦労する事に。


写真の様なよくわからんところ迷い込んだりしながらやっと半島の道へ。

ケープ半島、途中までは鉄道が走っており、
奇跡的に時間が合って下記の写真が撮影できました。











私好みの重厚な車両(笑)

それでは喜望峰へ・・・

続く

続きますが喜望峰はロクな写真がありません。あしからず。
途中たくさんのヒッチハイカーに出会いますが
怖いので止まるわけありません(笑)  

2011年04月09日

南ア:ケープタウン、テーブルマウンテンへ【93年3月21日】

南部アフリカの旅はこのカテゴリーで・・・

直近の旅行ネタが尽きると出てくる
1993年の南部アフリカの旅。

そもそもワールドカップ便乗企画で始まったのですが(笑)
そのワールドカップはとうの昔に?

今日は南アフリカ共和国。

ケープタウンの町を見下ろすテーブルマウンテンの風景です♪

時は1993年3月21日。

夜行列車で午後2時、ケープタウンに到着。宿に荷物を置いての観光。


ロープウェイ(現地ではケーブルカーと呼ぶ)で山頂へ。
1000m以上あります。


公園の様になっています。


なにやら生き物が・・・









すぎうらの感覚で?今まで見た絶景中の絶景のひとつだな・・・
(意外に喜望峰はただの「岬」でしたし・・・)

ユースホステルに戻って車中泊4泊の疲れを癒しました。たぶん・・・
翌日はレンタカーを借りて喜望峰を目指します。

続く(忘れた頃?)  

2011年03月04日

夜行列車でケープタウンへ【1993年3月20日21日】

アフリカ日記続けます。
1993年
3月20日20時40分に
キンバリーから乗った夜行列車は
3月21日13時55分ケープタウン着。

かなり乗りでのある夜行列車でした。





長い編成です。

車窓


私は2等寝台。
3等車は黒人のお客がたくさん。乗りおりも結構あり。生活列車?
2等以上は白人・旅の列車の様子。


同じ個室のお客さん。

この方と一緒に朝飯も昼飯も食堂車へ行きました。
朝はベーコン・パン・たまごETC
昼はカレーライスを食べた様です。

ケープタウンはかなり都会。日本の様な通勤列車区間もあり
電車が見え出して暫くしてケープタウンの駅に到着しました。

ケープタウン駅の案内所に行き。
近くのユースホステルを紹介してもらいました。
駅に物乞い結構いたとあります。
ユースホステルでシャワー浴びたあと(3泊夜行列車だったし・・・)

ケープタウンきっての観光地
テーブルマウンテンへバスで向かいます。

続く
  

2011年03月04日

南アフリカ・キンバリー市内【1993年3月20日】

南アフリカの旅続き

博物館よりキンバリー駅まで市電で戻ります。

市電からの景色。


















市電でキンバリー駅まで戻りますが旅客列車夜行列車など数本が止まるのみ。
近距離輸送などありません。
田舎はこんなもんの様。
おまけに土曜日午後やっているお店もなく。
かなり手持ち無沙汰に町をうろうろします。

超田舎の公共交通手段の旅ってこういう事起こりうりますね。
夜行列車には時間ありますが
夕刻にはキンバリー駅に戻ってきてしまいました。

駅にある車両などいろいろ撮影






キンバリー駅


なんだかんだ時間つぶして
20時40分発・ケープタウン行きの夜行列車に乗り込みました。
夜行列車連泊3泊目(笑)
ケープタウンでは地上の宿に止まる事に決めて
ゆったり汽車旅

続く
  

2011年03月04日

キンバリーMINE MUSEUM【1993年3月20日】

連載1993年南アフリカの旅

1993年3月20日

キンバリーのMINE MUSEUMまで走る市電で
博物館へ



まずこの穴すごい・・・






































キンバリーのMINE MUSEUM

午後1時には見尽くしてしまい
再びキンバリー駅へ市電で帰りました。

続く
  

2011年03月02日

南アフリカ:夜行列車で金鉱へ?【1993年3月19・20日】

アフリカの旅日記もうひとつコマ進めます。

この日記はこのカテゴリーにて1993年3月19日

ジンバブエから飛行機で南アフリカ・ヨハネスブルグにやってきました。


1993年3月19日~20日朝のおおまかな行程

19日

ジンバブエブラワヨ駅8:00着(ビクトリアフォールズからの夜行列車)

SL見て

12時30分市街地バス。
13時30分空港へ
14時30分ジンバブエ・ブラワヨ空港発

15時30分南アフリカ・ヨハネスブルグ空港着。
16時30分~バス~ヨハネスブルグ駅17時

18時晩飯
(日記によるとデカいハンバーガーらしい2つ頼むと2つともでかいセットで
2つも頼むんじゃなかったなどと書いてある)

20時30分夜行列車ダイヤモンドエクスプレス
午後9時食堂車へコーラ買い行ったらしい???
翌日
1993年3月20日
車内販売。モーニングコーヒー売りに来て買ったらしい・・・
6:00キンバリー着

9:15市電~恐らくすぐ金鉱博物館着。

ここまでの写真をお目にかけます。


南アフリカ・ヨハネスブルグ
当時から治安が悪いとの事。
カメラ怖くて出せなかったのか?
20日朝まで写真が全くありません。

20日朝・キンバリーに到着したダイヤモンドエクスプレスですが・・・

その前、
南アフリカに入り始めての写真がコレ

寝台内洗面・・・

ダイヤモンドエクスプレスの機関車


止まっていた電気機関車


駅近く。金鉱博物館へ行くトラム。
1903年式とありました。









金鉱博物館へ!

続く。

※喜望峰まで辿り着けば綺麗な写真も出てきますので?
それまでお待ちを・・・

当時フイルムはともかく現像はまだそれなりに高価
かなり写真撮影我慢してたのね・・・

キンバリー駅
地図はこちら地図はこちら  

2011年03月01日

アフリカの旅。ジンバブエ最終日【1993年3月19日】

この旅はこちらのカテゴリーにてご覧になれます

旅で出たいと思いながら
先立つものが非常に寂しいことに気付いたすぎうらです(笑)

久々に駒を進める

1993年3月10日~31日
南部アフリカの旅連載

ジンバブエ最終日。
ビクトリアフォールズから夜行列車で再び

ブラワヨに戻りました。
当時まだまだ現役で生きていた蒸気機関車を再度眺めに行き、
ブラワヨ空港から

ジンバブエ航空でヨハネスブルグに向かうことに。

ブラワヨ駅。
1993年にして1970年の雰囲気満点でした。












ブラワヨ市街地に航空会社のオフィスがありそこから便に接続する送迎バス
が出てそれに乗りました。あまり利用者はいず乗務員混載だったの覚えています。

様は当時飛行機ユーザーは人口のほんの一部の白人。
黒人のお手伝いさんがいて
皆送ってもらうのでしょう。


この飛行機で南アフリカのヨハネスブルグへ。

続く

ブラワヨ駅
地図はこちら  

2010年12月22日

20年前だけど40年前みたい?なブラワヨ駅【ジンバブエ】

1993アフリカの旅

ジンバブエ国鉄。ビクトリアフォールズから戻ってきて
ブラワヨ駅前に立ちました。



1993年3月19日のブラワヨです。

20年近く前ですが

40年前にも見えます。
駅前に止まっているのは
日産サニーでしょうか?
相当年期入っています。

方や日本は・・・
まだバブル崩壊直後

私の通う愛大生は自宅通いの生徒が多く
200万前後の車を買ってもらう
あるいはバイトなどで買う
余裕がまだ合ったようです。

生徒が乗ってたクルマ(友人など)

シルビアとか
レビンとか
インテグラとか・・・
180クーペとか!?
五十鈴のピアッツアとか
スバルアルシオーネとか
・・・
いろんなスタイリッシュなクーペやら
カリーナEDとかのハードトップとか

が一世風靡していましたが。

でこの写真のサニーです。
カブトムシワーゲンです(笑)
こんな車がうようよ。

当時23歳にして20年もタイムスリップしたかの様な
気持ちにさせてくれました。

そんなブラワヨから19日・南アフリカに飛ぶ事になりますが
もう少しSLを愉しみました。

続く(今日は終り)